『サイクリング・ブルース』(忌野清志郎、小学館)感想

サイクリング・ブルースサイクリング・ブルース
忌野 清志郎

小学館 2006-06
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ミュージシャン忌野清志郎による自転車本。いい本だなあ。冒頭のこの部分だけで、自転車ゴコロのど真ん中を撃ち抜かれます。


自転車はブルースだ。クルマや観光バスではわからない。走る道すべてにブルースがあふれている。楽しくて、つらくて、かっこいい。憂うつで陽気で踊り出したくなるようなリズム。子供にはわからない本物の音楽。ブルースにはすべての可能性がふくまれている。自転車はブルースだ。底ぬけに明るく目的地まで運んでくれるぜ。
この本はエッセイというよりフォトブックに近く、「ファン向けのタレント本」という路線に位置づけられるものだと思います。けれどもその枠を越えてあふれかえる自転車愛がハンパなく、そこがたまらなく面白いんです。上に挙げた箇所以外では、こんなところにも強烈に共感しました。


レースの勝ち負けとか場所とか、そういうことにはあまり興味がなく、ただ、気持ちいい道を、できるだけ遠くまで走れれば、それでよかった。
自転車にはまって以来、遊びはもちろん、仕事に行くときも自転車を使うようになった。ライブ会場に行くときも、録音スタジオに行くときも、温泉に行くときも、何もない日もぶらっと自転車に乗って、どこかに出かけた。
自転車に乗れない日が3日続くと、体調が悪くなった。そのうちだんだん世のなかが嫌になってきて……。この中毒症状を治す薬も、やはり自転車である。
清志郎は2005年に、約160万円相当のフルオーダー自転車「オレンジ号」を盗まれています。新宿区の知人男性宅前に停めておいたのを盗られたんだそうで、「そんな高い自転車を日常の足に使ってどうする」と思ったんですよ、事件当時のあたしは。でも、自転車乗りのはしくれとなった今ならちょっとわかる。「自転車に乗れない日が3日続くと、体調が悪く」なるんですよ。どこに行くにも乗りたくて乗りたくてたまらないんですよ。
完全レース志向の人ならば、「自転車は競技のための道具」と割り切って、練習以外では一切乗らないという使い方もありでしょう。でも、清志郎LSD(ロング・スロー・ディスタンス)の人です。別の箇所で、彼はこうも書いています。

勝ち負けにこだわって、頑張りすぎると息切れする。
どんな険しい坂道も長い道のりも、いつかは着くだろうと、ゆるい気持ちで走ることが大切だ。
これは、人生にもいえること。
いくら頑張っても、世間の評価とかはそう簡単にはついてこない。
そんな経験を僕なんかずっとしてきたから、そういう価値観にしばられたくない。
なによりも大事なことは、自己満足。
自分の走りに納得できれば、それでいい。
自分自身の自転車に対するスタンスがほぼまったく同じなので、涙が出るほどうなずきました。思えばあたしがロードバイクを買ったのも、レースに勝つためでもなんとか峠をなんとか秒以内で走るためでもなく、「もっと軽く、速く、楽に、できるだけ遠くまで走りたい!」だったもんなあ。誰に勝ちたいわけでも、自分に勝ちたいわけですらなく、この「楽しくて、つらくて、かっこいい」乗り物で延々と走っていたいんです。自己満足でいいんです。

この本を読んで、ロードバイクを買って以来しまいこんだままのクロスバイクをもう一度出してこようと思いました。長時間乗れないからって、それが何。近所のコンビニもスーパーもドラッグストアも、みんなクロスで行っちまえばいいじゃんか。バックパック背負って風を切って、ゆるく走っていこうぜ自分よ。

本の後半がちょっとした自転車雑誌のようになっていて、自転車グッズの紹介や、簡単なストレッチ/ライディング/メンテナンス講座、清志郎が実際に走った道のツーリングガイドなどが詰め込まれているところもよかったです。「お前らも自転車に乗れよ」という清志郎の声が聞こえてくるよう。これは「清志郎ファンが自転車に乗る彼の姿をうっとり眺めるための本」ではなく、清志郎からファンに向けての「自転車楽しいぜ、お前らも乗れよ!」というメッセージの塊なのだとあたしは思いました。