恋愛は観客様の目を楽しませるコンテンツじゃなく、実人生の一部にすぎない。あと美人を落とすのは意外と簡単だという話

いつから恋愛は「観客たる第三者様の目を楽しませるためのコンテンツ」になったんでしょう。増田(はてなアノニマスダイアリーの書き手、の意。ここでは上記エントリの書き手を指します)が勝手にそう決め込み、自分自身をコンテンツの登場人物として「私キモ!」とかジャッジしている間に、他の人は自由に実人生を生きている。それだけのことなんじゃないんですか。

あと、この増田は、チビガリブサ男子が可愛い子に恋をしたことに対して、


まさか付き合えるとでも思ってたの!!!???

と大仰に驚いて見せていますが、読みが浅いなあと思います。これがもし中高生ぐらいの人だったら、無理もないんですけど。レズビアンとしてこれまでいろんな女性とつきあってきた経験から断言するけど、美人を口説くのって実は簡単なんですよ。相手が美人だと増田のように「私キモ!」「俺キモ!」と金縛り状態になってしまう人が多いため、ライバルがすんごく少ないんです。美人さんはむしろ、増田の言うところの「スペック」ばかりにとらわれて脂汗を流している人を見飽きているので、カジュアルに近づいていって平気で口説く人の方が歓迎されやすいような気がします。あと、美しい人って、そうじゃない人が妄想するほど、相手の顔の美醜にこだわってなんかいませんよ。実人生、つまり「絵空事でない、実際の人生」(Weblio辞書より)を生きている人はね。自分を「観客様を楽しませるコンテンツのキャラ」だと思い込んでいる人はどうだか知りませんが。

あとね、増田のように「ブサイク」や「低スペック」を理由に自他の恋愛感情を嫌悪する人を見ると、あたしはアドラーのこのエピソードを思い出すんですよ。


オーストリアの精神医学者アドラーという人は、ノイローゼの人が相談に来ると、「あなたは、もしノイローゼが治ったら何をしたいと思いますか」とよく尋ねたようです。その人が、「ノイローゼさえ治ったら、自分の仕事にもっともっと打ち込みたい」などと答えると、アドラーは「あなたは仕事に打ち込むのを避けるのにノイローゼになっていませんか」と言ったそうです。
ノイローゼさえなかったら、あれもするこれもすると言っている人は、本当はそれを避けるためにノイローゼになって、それを嘆く事によって安定を保っているのではないかということです。

アドラー風に考えるならば、増田みたいな人って、自分が恋愛することを避けるために「ブサイク」や「低スペック」を持ち出し、それを嘆くことによって安定を保っている可能性があるのでは。だからこそ、他の「ブサイク」で「低スペック」な人が堂々と恋をしているのが許せないのでは。だって、「ブサイク」で「低スペック」な人でも恋愛感情を持っていいということになれば、自分が恋愛を避けていることが合理化できなくなってしまいますから。
でもねえ、恋は「する」もんじゃなく、「落ちる」もんだよ。昔っから「お医者様でも草津の湯でも」というぐらいなんだから、外野がキモいだのなんだの騒いだってまっったく無駄だってもんよ。増田が恋愛を忌避したいならひとりで勝手にやっていればいいのであって、そのためにいちいち人の恋路を見下して大騒ぎするこたあないだろとあたしは思いますね。