『日本語教室』(井上ひさし、新潮社)感想

日本語教室 (新潮新書)日本語教室 (新潮新書)
井上 ひさし

新潮社 2011-03
売り上げランキング : 1414

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

上智大学で2001年に行われた連続講義を書籍化したもの。興味深い部分も多いのですが、一部に首をかしげてしまうような記述も見られ、正直期待はずれでした。これなら同著者による『『私家版 日本語文法』(新潮文庫)『自家製 文章読本』(新潮文庫)の方が面白くて勉強にもなると思います。

興味深かった箇所は、まず日本語では1から10まで数えるときと10から下っていくときでは「4」と「7」の読み方が変わるという指摘(pp. 95 - 96)。これは漢語とやまとことばの無意識的な使い分けによるものなんだそうですが、目からウロコでした。また、"right"や"freedom"の訳語としてそれぞれ当てられた「権利」「自由」が、元来中国語ではマイナスの意味を持つことばであった(『権利』=『力ずくで得る利益/権力と利益』、『自由』=『我が儘勝手のし放題』)ため、日本人の中には「権利」や「自由」に対するネガティブな感覚がしみついてしまったという議論(pp. 101 - 103)も面白かったですね。マイノリティーがrightsやfreedomのつもりで「権利」「自由」などの語を使うとマジョリティーが逆上するのは、ひょっとしたらそういう感覚から「こいつらは“力ずくで利益を得て”、“我が儘勝手に”ふるまおうとしている!」と短絡してしまうからなのかも。

次に首をかしげてしまう箇所はどこかというと、まず、


必須アミノ酸をすべて持っているのは、あらゆる食べ物のなかで米だけなのです。
という箇所(p. 89)。いんちきもいいところです。卵の立場はどうなるんですか*1。それに米はアミノ酸スコアが低く、単体では必須アミノ酸の良質な供給源とはなり得ません。その米を「完全食品」(同)と褒め称え、「ヤマイモなんていくら食べてもしょうがないでしょう」(同)、「オートミールというのがありますがあまりおいしくない」(同)だのと他の炭水化物をけなすのは、非科学的なコメ信仰、コメ宗教と言わざるを得ません。

他には、名古屋弁についての記述もなんだか妙だと感じました。というのは、名古屋弁のネイティブスピーカーで、井上氏の主張のように「え」を「ええー」、「お」を「おおー」と「非常に長く」(p. 138)発音する人を見たことがないから。氏は、名古屋弁特有の「一旦音をためてから爆発的にイントネーションを変化させる」というしゃべり方の「ため」の部分を、単純な長音と勘違いされているのではないでしょうか。ひょっとしたら共通語の影響を受ける前の古い名古屋弁の話なのかもしれませんが、だとしても井上氏の出身地のことばを「東北弁こそが日本の原縄文言語」とまつりあげる(しかもこの説には『何の根拠もない』んだそうですよ)(p. 75)一方で、「エエービフリャー」とか言って「名古屋の人を笑ってはいけないのです」と繰り返す(ダチョウ倶楽部的に)のはどうかと思いますよ。他の食物をくさしてのコメ信仰の次は、タモリごっこをしながらの東北信仰ですかい、とげんなりしました。

これらの部分が理由で、他の部分まで「話半分で読んでおいた方がいいのだろうなあ」としか思えなくなってしまい、残念でした。日本語論の本というより、日本語にまつわる小話集ととらえておいた方が無難な一冊だと思います。