ネット上で「竹田さん」することの是非(追記あり)

※最初にお断りしておきますが、タイトルの「竹田さん」とは実在の人物のことではありません。念のため。

小学校五年生の国語の教科書より

さて、以下の会話は東京書籍『新しい国語 五年上』(p45)の、「会話をはずませよう ――相手の話の意図を考えながら聞き、かみ合った会話をしよう」という部分からの引用です。最近の学校教育はコミュニケーション重視なので、こういう授業がちゃんとあるんですね。

梅木さんと竹田さんの会話
梅木 土曜日、サッカーを見に行ったのよ。すごく、いい試合だった。
竹田 土曜日か。ぼくなんか、新しいゲームソフトを買いに行ったよ。
梅木 あのね、土曜のサッカーはね、後半のロスタイムに点が入ったの。
竹田 ぼくも、ロスタイムに点を入れたことがあるよ。
梅木 ふうん。
で、教師用指導書では、同じページの欄外にこのような注釈が入っています。授業のポイントというわけです。
竹田さんは梅木さんの会話の一部を受けて話しているが、自分の言いたいことしか言っていないので会話がかみあっていない。

たしかに、あからさまにかみ合っていない会話ですよね。人の話聞いてないじゃん竹田さん、と思うわけです。相手の話のうち「土曜日」「ロスタイム」という単語しか聞かず、ひたすら自分の言いたいことだけ言って終わりってどうなのよ、と。そりゃ梅木さんも困惑するでしょうと。

ネット上で「竹田さん」することの是非

で、自戒をこめて思うのですが、ブログのトラバ記事やはてなブックマークのコメントというのは、しばしばこの「竹田さん」的になりがちなところがあるのではないでしょうか。つまり、元記事の特定の単語だけに突然反応して、全体としてはまったくかみ合わないことばかり書いて終わってしまい、元記事の書き手が釈然としない気分になることが往々にしてあるのではないか、ということです。

はてブのコメントならまだ、「自分用のメモであって、対話ツールではないから」と考えれば納得できます。けれども、ブログやWeb日記でわざわざ名指しで記事を書いたり、トラックバックを打ったりしてまで「竹田さん」する(つまり、元記事とまったくかみ合わない話を得意げに開陳する)のはやはりどことなく変だと思うんですよ。それはやっぱり小学校五年生以下のことではないのかと。というわけで、ネット上で何か書くときには、「自分は、この記事で誰と対話しようとしているのか?」ということを常に念頭におかなきゃなあ、と思いました。なかなか難しいことではありますけど。

追記:この記事には続きがあります。