『「ニート」って言うな!』の、ニート問題以外でも興味深かったところ

下のエントリであげた『「ニート」って言うな!』ですが、内藤朝雄氏による第2部 「『構造』 - 社会の憎悪のメカニズム』が非常に面白かったです。「ニート」言説のみならず、同性愛嫌悪がなぜ起こるのか考えるのにも役立つと思いました。例えばこのへん(p198)。


透明な社会と不透明な社会という概念が、重要なポイントになります。
さまざまなタイプの人間がさまざまな生き方をしていて、何がよい生き方であるかというのは決められない。ただし、さまざまな生き方をしている人間が、他者を侵害しないで、それぞれの生き方を追及できる社会であればよいではないか、というのが先進国型のリベラリズムです。つまり、社会が不透明であることを肯定する社会です。
ところが、これまで述べてきたような仕方で青少年に憎悪を抱くタイプの大衆には、こういう不透明さがゆるせません。つまり、どんな人間がどんな風な生き方をするかはわからない、この日本という社会の人間像はどんなものかわからない(中略)というその不透明さに耐えることができないのです。ですから、たとえば茶髪でピアスをした高校生がいるとか、援助交際をする女子高生がいる、というだけで、一気に社会や人間の不透明さを感じて、その不透明さを「もたらした」者に対して憎悪と被害感をいだいてしまいます。
あたし、以前から、むきになって同性愛を否定しようとするノンケさんを見ると、「アンタと寝させろって言ってるわけでもないのに、どうして?」と疑問に思ってたのね。無関係の第三者が誰とどう付き合おうと放っておけばいいのに、なぜあんなにも憎んだり嫌ったりあげくのはてには殺したりしてまで(最近もこんな事件がありましたね)必死で絡んでくるのかと。
この引用から読み取れる憎悪のメカニズムを適用して考えてみると、結局ホモフォビックな人というのは、自分の価値観だけですべて理解できる「透明な社会」を乱す「不透明な」同性愛者の存在が許せないのかも。だとすると、わざわざ嫌いな相手に近づいてバッシングをしたりヘイトクライムに走ったりするのは、社会を浄化しようとする必死の試みであるわけか。
そういう人たちにむかって「多様性の尊重を」なんて精神論を言ったって、そりゃ通じないよねー。社会を守る正義の使者気取りなんだもんね。やはりシステムの改変で、他人の自由に手出しをさせない環境条件を整えていくのがベストなんだろうなあ、と思いました。「他人のことは放っとけ」というごくあたりまえのことがあたりまえに実行される世の中になって欲しいよ、まったく。